MotoStudies: バイク研究のための覚書

大学でバイクの研究を最近始めた交通研究者です(バイクに乗るのは初心者)

米国のバイク乗りにおける「ハーレー派」と「日本車派」の口論を和訳した

ハーレー派と日本車派が口論する動画

アメリカのバイク乗りの世界では、昔から、ハーレー派と日本車(スポーツバイク)派の文化的な対立があるらしい。それを扱った論文も読んだことあるし、バイク好きの心理学者のエッセイにも書いてありました。
ハーレー派は、「この重厚な車体、クロームメッキの輝き、野性味のある鼓動感こそバイクの醍醐味」と考えていて、日本車を「チープなプラスチックの塊」と馬鹿にしている。ハーレーには文化と伝統があり、日本車にはない、みたいな感じです。
一方、日本車派は日本車派で、レーサーが好きだったり性能重視だったりするので、ハーレーみたいな遅くて操りにくいバイクを逆に馬鹿にしているとか。


で、そんなハーレー派と日本車派の争いを戯画化したアニメ動画がありました。どっちかというとハーレー派を揶揄する内容ですが。もちろんどちらの主張にも賛成はしないけど、こういう対立があるんだなってのは面白いと思いました。
動画は英語しかないけど、短いので、以下のとおり日本語に訳しておきました。知らないスラングが多かったので結構ググって勉強になった(笑)


www.youtube.com
 
 

日本語訳

A: 今、俺のハーレーを見てたよな。どうだ、凄いだろ?
B: いいと思うよ。でも僕はクルーザーには興味ないね。
A: は?何言ってんだ。これこそアメリカンバイク*1だろ。ハーレーのバイクは世界一ヤベェよ*2
B: 「最悪」って意味なら同意するね。
A: ははーん、分かったぞ。お前、ジャップのバイクに乗ってるな?
B: そうだよ。
A: 反米主義者め。テロリストにも手を貸しているんだろう、このクソ共産主義者が。
B: 君、バカだろ。
A: あんな「炊飯器」*3によく乗ってられるな。全くアメリカ的じゃねぇよ。
B: 君のハーレーだって厳密にはアメリカ製じゃないよ。
A: 嘘言うな。ハーレーはメイド・イン・アメリカだ。Harley Owners Groupの掲示*4にそう書いてあったから間違いない。
B: 違うね。アメリカ製の部品も使われてるけど、それ以外は日本、中国、メキシコとか色んな国で作ってる。嘘だと思うなら、君のハーレーのセルモーターを確認してみな。「Denso*5って書いてあるから。それから、君のバイクのフレームは日本のリサイクル鉄で作られてるんだよ。これ本当。
A: でもとにかく、俺のバイクは日本車みたいなプラスチックの塊じゃねーんだよ。俺はあんな、子供の遊び道具みたいなバイクに乗るのはゴメンだね。
B: 池沼かよ*6。スポーツバイクは、アルミとプラスチックを使うことで車体を軽量化してるんだよ。だから速いし、操作性もいい。ハーレーのポンコツバイクとは違ってね。
A: このホモ野郎が。
B: 笑わせんな、君のほうがヴィレッジ・ピープル*7みたいな格好してるじゃないか。
A: 女が寄ってくるバイクは、ハーレーだけだぜ*8
B: そうだといいな。君らハーレー乗りは、生身じゃ女に見向きもされないだろうから。
A: ハーレーは自由の象徴であり、俺の個性を表現する手段なんだよ。
B: ほう、個性ね。だから君の仲間は、全員まったく同じハーレーのキャップ、ベスト、チャップス、ブーツを着けてるのか?(笑)*9ゲイの海賊集団みたいに見えるぞ。
A: 分かってないな。俺は果てしなく続く道路で自由を謳歌する、筋金入りの*10反逆者なのさ。
B: 本当か?じゃあ、1日でいちばん遠くまで走ったのは?
A: 去年、スタージス*11まで行ったな。
B: バイクで?
A: ……そこでバイクに乗ったんだ。
B: スタージスまでバイクで走ったわけじゃなくて、トレーラーにバイクを積んで行っただけだろ?
A: まぁそうだが、仕事が忙しくて、全行程をバイクで走るほどの時間はなかったってだけだ。
B: ほう。ひょっとして君は……弁護士なのか?
A: いや、会計士だ。
B: なるほど、そうだろうな(笑)*12
A: おっと、そろそろ行かなきゃな。俺たちのチーム*13は今日から長旅に出るんだ。
B: 確かに、もう行ったほうがいい。じゃないと古着屋が閉まる前にイースト・ヴィレッジに辿り着けないからな(笑)*14
A: このクソが。
B: 見かけのために乗り、乗ってるフリをしてるだけ*15。馬鹿馬鹿しい*16

*1:ここは“American Iron”で、直訳すれば「アメリカの鉄」であり、アメリカ製の機械であることを誇りを込めていうフレーズみたいだけど、ニュアンスの出し方が難しいので「鉄」と書かなかった。

*2:worstではなくbaddestと言っていて、ここでは肯定的な意味

*3:“rice burning crotch rockets”と言われている。“Rice Burner”という、日本車を馬鹿にする意味のスラングがあり、「コメばっか食ってる奴ら」みたいな侮蔑が含まれている。炊飯器はburnerじゃないけど、一言で意訳するなら炊飯器ぐらいが面白いかなと。訳に含めなかったけど、“Crotch Rocket”も日本のスポーツバイクを侮蔑するスラングで、直訳すれば「股間のロケット」となり、チンコみたいな下品な雰囲気を出しつつ「速いことだけが取り柄でぜんぜん快適じゃないロケットみたいな乗り物に、前傾姿勢で無理してしがみついてる」みたいなイメージを表してるんだろうか。よくわからんので誰か教えて。

*4:HOG Forumの意味がこれで合ってるか分からんけど、H.O.G.はHarley Owners Groupらしい。

*5:日本のデンソーが電気系の部品を作ってるってこと。

*6:ruhtard

*7:ハーレー乗りのファッションがゲイっぽいと揶揄している。70年代に「YMCA」とか「Go West」とか歌ってたので有名だけど、メンバーがゲイだったらしい。コスプレしながら歌ってて、確かに、革ジャンの人とかバイクのヘルメットかぶった人がいる。

*8:patented to make women come

*9:チャップスは、ズボンの上から防御用に履くやつ。ハーレー乗りはみんな服装が似てることを揶揄している。

*10:badass

*11:サウスダコタ州の都市。どうも、このスタージスまでバイクで走るラリーが毎年開催されてるみたい。

*12:「会計士」は、風俗やポルノ系の仕事をしてる人が、ネットで職業を偽って名乗るときの定番らしい。それを踏まえて、嘲笑する感じ。

*13:wolfpack

*14:「旅に出るなんてウソで、近所の古着屋でたむろするだけだろ?」ってからかってる感じかな。ニュアンスがよく分からん(笑)“antique shop”だから、骨董品屋と言うべきだろうけど、日本でいうとイメージ的に、原宿や下北の古着屋に集まるような感じなのかなと。全然知らんのだけど、イースト・ヴィレッジってのはニューヨークの一角で、古着屋とかがたくさんあるらしい。

*15:ride to pretend, pretend to ride

*16:dickhead

バイク研究の助成金が取れました!

大学でバイクの研究をするための民間の助成金に2つ応募していて、1件獲得できました。これでようやく「バイクの研究をしてます」って言える立場になりました。まぁ、論文を書いて3本ぐらい通るまでは、「バイク研究者」を積極的に名乗るつもりはありませんが(汗)


ちなみに、近いうちにさらにもう1件、助成金に申し込むつもりです。
私は一応、大学で研究しているものの一つが、交通工学の中の「交通行動」って分野なのですが、交通工学において「バイク」は研究対象になりにくいです。交通工学ではなく、機械工学とか車両運動学のような分野だと、バイクの機械的な構造や挙動についての研究はいろいろあると思うのですが。
交通の分野では、学会に行っても、クルマ、鉄道、バス、自転車などの研究報告がほとんどですね。海外に目を向けても、バイクの研究で論文を書いている研究者自身が「バイクの研究って少ないよね〜」と論文中に書いてたりします。なので逆にいうと、研究すべきだけど手がつけられていないトピックが山のようにあって、助成金の応募をするにしてもネタには困らないですね。


今回取れた助成金は、金額は大きくないですが、アンケート調査ベースの研究をする分には十分な経費が出せそうです。とりあえずやろうと思っているのは、四輪車のドライバーが、悪気は無いにしても心のどこかでバイクを「軽視」、場合によっては「差別」「蔑視」しているのではないか……という研究です。

バイクの振動について

高速道路の長距離走行を快適にしたいので、大型バイクを買う前に「振動が大きいかどうか」をすごく気にしていました。で、トライアンフのボンネビルシリーズは、イメージしてたより(SRみたいなのをイメージしてました)振動が小さいと感じる。
理解がイマイチ中途半端なのですが、振動はバランサーをどうしてるかなど車種ごとのセッティングにもよるとは言え、以下のような傾向があるらしい。

  • 気筒数が多いほうが振動が減る。これは分かりやすい。SR400の単気筒の強烈な振動(高速道路でミラーが緩むとか言われる)と、CB400の「シルキー」とも言われるなめらかな回転の違い。
  • ストロークが長いピストンのほうが振動が大きくなる。これもわかりやすい。
  • 空冷は水冷よりも振動が強くなる。一つは、空冷エンジンは放熱のためにピストンのスカート部を長くする必要があり、これでピストンが重くなって、振動が増える(解説記事)。あと、水冷の場合は全体を循環してる冷却水が振動を吸収する役割も持っているらしい。それと、これはハッキリどこかに書いてあったわけではないが、空冷は熱膨張を考慮して部品間の遊びを増やしていて、それにより水冷ほど高精度なつくりにできないという面があるわけだから、それも振動につながるケースがあるのかも?
  • 2気筒のクランク角についてはややこしくてよくわからないのだが、ネット記事(解説記事1解説記事2)によると、点火タイミングとか色々考慮すると、270度クランクのバランスが良いとされている。360度だと、2つのピストンが一緒に動くので振動が大きくなる。点火タイミングは360度ズラしで等間隔にできるけど。180度クランクはピストンの動きは互いに打ち消し合うのでなめらかな動きになるが、点火タイミングの偏りは270度クランクよりも大きい。そこで、間を取った270度がバランスがいいという説があるようだ。
  • 大型バイクの場合、中型に比べると全体的に小さな回転数で走るので、手がビリビリ痺れるような振動になりにくいというのもあると思う。

80年代の走り屋についての石原慎太郎のコメント

YouTubeで、ローリング族と言われた80年代の走り屋についてのドキュメンタリーを観たのですが、この一本目の動画からして、現代人からみると頭おかしいですねw


www.youtube.com


当時これが危険だし迷惑だということで社会問題化し、警鐘を鳴らす目的で作られたような番組です。
少年たちに話を聞いているインタビュアーも、基本的には「そんな危険なことして命落としたらどうするんだ」というような調子で聞いているんですが、少年たちは「死ぬかも知れないのは分かってる、でもやめられない」と答える。
このメンタリティは今の若者とはだいぶ違うなと思うんですが、それについての、当時運輸大臣だった石原慎太郎のコメントがちょっと面白かった。


www.youtube.com



インタビュアーはここでも、この社会問題を解決するために規制強化が必要ではないかという趣旨で質問をしているのですが……

インタビュアー バイク年齢が16歳というのは、ちょっと若すぎやしないかなという気がするんですが、どうでしょうか?


石原運輸大臣 さぁ、しかし昔は15、16で元服して一人前の侍になったんでね。その頃から比べりゃ肉体的にも大きくなったし、情報だって知識だってふんだんにあるわけでね。つまり、自分を律しきれるかしきれないかの問題で……。私は年齢の問題っていうかもう、文明そのものがソフト化してしまって、それに対する若者の精神・生理的、肉体的な反発……ということになれば、ソフト化した生活・文明がよくないと言うのは易しいけども、じゃぁ徴兵制度を敷いて子どもたちを駆り立てるかというとそんな必要もありやしないし、そんなもの通じる世の中じゃないしですね。文明がだらけてしまってるから、若者たちはやっぱり緊張を求めていくわけで。この文明を作ったのは誰かと言ったら、彼らじゃなしに我々なんだから、そういう反省を込めて対処しないとおためごかしになってね。16歳と17歳からライセンス取り上げるだけで事が済むかといったら、そんな簡単なもんじゃないと思いますよ、僕は。


ここで文明の「ソフト化」と言われているのは、当時の保守派文化人からみた戦後観のことで、要するに武力を持たず、売春を禁止し、アメリカの庇護の下で経済成長だけに専念し、高度消費社会と高福祉国家を作り上げ、それと引き換えに人間が本来持っている野性味や緊張感を失ってしまった……というような意味合いですね。簡単に言えば、石原慎太郎のような戦前生まれの文学者や政治家の眼には、戦後日本というのは人が苦労することを忘れた「だらけた」時代として映っていたわけです。豊かではあるが、隅々まで安全に管理された退屈な社会、という感じでもある。


で、若者は生来ありあまるエネルギーを持っていて、昔はそのはけ口がたくさんあったのに今はそれがないので、ローリング属のような危険で無秩序な行動が生まれるのも無理はないのであり、バイクの免許を取り上げたぐらいでどうにかなるようなことではない、と言う話です。


まぁそんな気もすると同時に、今の若い人をみるとまったく暴力的でも野性的でもなく、いわゆる「草食」なカルチャーが根付いていて、べつにはけ口を求めているようにも見えないので、不思議なものです。ローリング族のような形で暴発する若者のエネルギーとやらは、霧消してしまったのか、それとも私なんかには見えないどこかで消化されているのか、気になりますな。

バイクと飛行機は似ている?

1ヶ月ぐらい前に、『FASTEST』というMotoGPドキュメンタリー映画(というよりほとんどヴァレンティノ・ロッシのドキュメンタリーと言ったほうがいいですが)をみました。


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この映画に登場するヤマハの日本人エンジニアの人が、以下のような話をしていたのが面白かったです。


「子供の頃は航空機のエンジニアになりたかった。だが戦後、アメリカによって日本は航空機製造を禁じられ、優秀なエンジニアは皆自動車か二輪業界に行った。それが日本のバイク工学が進歩した理由だ。バイクは動力学的に航空機に似ている。単純な乗り物に見えるが、実際は四輪自動車に比べかなり複雑な3次元の動きをする。」


そして、海外のあるバイクジャーナリストも、


MotoGPマシンは飛んでいるようなものだ。バイクがコーナーに進入し60度に傾く時、タイヤには2つの重力が働く。航空機でも同じことが起き、翼をもぎ取ろうとする。」


と語っていました。
この発言が興味深いと思ったのは、他の文脈で「バイクに乗ると、空を飛んでいるような気分になる」という人もいて、「なんかバイクって、いろんな意味で飛行機に似ているのかな?」と連想が働くからです。
たとえば、以前紹介した『Why We Ride』と(先日書いた紹介記事)いう映画の中では、


「人間なら誰だって、空を自由に飛んでみたいと夢みたことがあるだろ。バイクに乗る時、スロットルをひねると、まさに飛んでいるような気分になるんだよ」


と言う人がいました。また、その映画に出てくるボンネビル・スピードウィークの関係者は、


ムスタングやコルセアのような昔の戦闘機と同じで、ボンネビルを走るライダーは、勘だけを頼りに(seat-of-the-pants)操縦してるんだ」


というふうに、最高速に挑戦するバイクとライダーを、戦闘機とパイロットにたとえていました。
私はそういうスポーツ走行とは縁のない初心者ですが、それでも、高速道路を走っているときとか、山道を左右に旋回しながら走っているときの気分は、言われてみれば空を飛んでいるような感覚に近いのかもなと思います。


飛行機とバイクのわかりやすい共通点の一つは、曲がるときに車体(機体)を傾けなければならないという点でしょうね。ここは四輪車とだいぶ違う。あと、クルマと違って前傾姿勢で風を受けながら走るので、これは鳥とか馬みたいな動物の疾走感に似ているかも知れません。
また、バイクが飛行機に似ていると言う人は、飛行機といってもジャンボジェットのようなものではなく、ゼロ戦とかセスナ機みたいなものを念頭に置いてると思うのですが、それらとバイクの共通点として「マシンとの一体感」ってのもあるかもしれません。


映画とかではないですが、バイク初心者向けに気をつけるべきことを述べている下記のYouTube動画(「安全のために、何よりもタイヤにカネをかけろ」などなかなか参考になる話が多い)では、最後のほうで少しだけ、「スピードを出さないと安定しない」という点でバイクと飛行機は似ているという話が出てきます。たしかにそうですよね。推進し続けなければ、飛行機は堕ちるし、バイクはこけます。
https://www.youtube.com/watch?v=lVYThFQPPL8
(あと、これはちょっと趣旨が違いますが、いきなりハイパワーな大型バイクにのるのは、セスナ機とかでの練習をすっ飛ばしてジェット戦闘機に乗るようなものだという話が前半で出てきます。)


私は最近になってバイクに乗るようになったのですが(原付なら高校生だった20年前に乗っていましたが)、バイクに乗らない人にバイクの気持ちよさを伝えるとき、飛行機のたとえを使うようにしています。「もし許されるなら、一人乗りのセスナ機に乗って空を自由に飛んでみたいって、だいたいの人が思うやん?俺は飛行機は操縦したことないから分からんけど、たぶん快感の方向性としては似てると思う。とくに夜中に高速道路を走ってると、周りが真っ暗なので、本当に空を飛んでるような気がしなくもない」みたいな感じで。

バイク乗りが観るべきドキュメンタリー映画『Why We Ride』

バイク愛を語る映画

アメリカのたくさんのバイク乗りにインタビューして「人生とバイク」を語らせた、『Why We Ride(なぜバイクに乗るのか)』という素晴らしいドキュメンタリー映画があります。
YouTubeに予告編のトレーラーがあるのですが、この映像だけでもバイクに乗る人ならシビれるんじゃないでしょうかね。


www.youtube.com
www.youtube.com


ところがあいにくこの映画、日本語版が出てないんですよね。
私は英語が苦手ですが、この映画についての日本語の情報があったほうがいいと思うので、観ながら取っていたメモに基づいて、ここで少し紹介しておこうと思います。
以下、青字で斜体にしてるところがインタビューからの引用です*1
観てて何回も思ったのですが、これはバイク業界の誰かがカネを出して、日本語版を出させるべきですね!


この映画でインタビューされている人たちは、何らかの意味でバイクの「プロ」だったり、「バイク狂」と言えるレベルのマニアばかりです。レースをやってたり、小学生ぐらいからバイクに乗ってる人も多いです。だから、一般のバイク愛好家の声とはちょっと違いますね。
しかし、「バイク=人生」みたいな生活を送っている人が語るからこそ、バイクに乗ることの本質的な魅力が浮かび上がっているとも言えます。
 
 

バイクに乗る快感

映画に出てくるあるライダーは、


「人間なら誰だって、空を自由に飛んでみたいと夢みたことがあるだろ。バイクに乗る時、スロットルをひねると、まさに飛んでいるような気分になるんだよ」


と語っていました。これは、私も分かる気がします。
「バイクに乗りたい」という感覚と、「パラグライダーやパラモーターで空を飛んでみたい」という感覚は、似ていると思います。峠のワインディングロードをスイスイ走るのって、鳥が飛ぶような感覚に近いんじゃないでしょうか。私は初心者なのでスイスイはできませんが(笑)。


「何か腹が立つことがあって、ムシャクシャしながら仕事場を出るとするだろ。でも、バイクに乗ると2マイルも行かないうちに、ストレスも不安も全部なくなって、自由な気分になるんだ」


と言う人もいました。この映画に限らず、「私がバイクに乗る理由」として「自由」を挙げる人は多いですよね。わかります。ヒルクライムの競技をしているある男性ライダーは、


「僕にとってバイクは、この狂った世の中から解放してくれるものであり、薬なんだ」*2


とも言っていました。


「朝早く、日が昇る頃にバイクに乗るのは最高だよ。光は暖かく魅惑的で、パリッとした空気は新鮮で綺麗だ。この魔法のような時間を味わうのに、『クールなバイクに乗って走る』以上に良い方法は考えられないね」


という声もありました。早起きしてひとっ走りしてから仕事に行くのを習慣化すると、幸せになれそうです。



 
 

初めてバイクに乗った時

バイクに初めて乗った時の印象や、バイクを仕事や趣味にするようになった理由についても色々と語られていました。


「初めてバイクに乗った時、1分か1分半走ってみてすぐに『あ、これこそ俺のやるべきことだ』って思ったよ」


「子供の頃、初めてミニバイクに乗らせてもらった時、『私には何だってできる』って気分になったわ」


というように、初めて乗ったときのシビれるような感覚がその後の人生を決めたというような人は多いようです。


「子供の頃、初めてバイクに乗った日の前夜は、『明日、バイクに乗れるんだ』というのが楽しみで仕方なかった。そして私は今も毎日毎日、同じように感じている」


と振り返る人もいました。バイクに乗る楽しみは常にフレッシュで、飽きるということがないということですね。


「ある種の人々は、心の中にバイカーの“タネ”を持って生まれるんだ。それは芽吹いたことがないだけで、バイクに乗りたいという情熱は初めからあなたの中にある。そして水をやった時、つまりバイクに初めてまたがってスロットルを回した時から、そのタネは育ち始める。そうなればあなたが死ぬまで、その情熱は消えることがない。」


と語る人もいました。


ライダー同士の友情

「バイク乗りは仲間意識が高い」という話も繰り返し語られていました。バイク仲間のことをよくbuddiesというのですが、これは「兄弟たち」ってぐらいの意味ですね。


「バイク乗りは、道端に停止して困っているライダーを見かけたら、手を貸そうとせずにはいられないもんだ」


「バイク乗りは、すれ違う時にお互い挨拶をする。クルマでは、そういうことはまずないよな」


そういえば以前、南米のライダー200人ぐらいにインタビューした論文を読んだことがあるのですが、その中でも「バイクはクルマより低く見られているから、ライダーが事故で道路上に倒れているのを見ても、クルマのドライバーはそのまま通り過ぎる人が多い。しかしライダー同士はお互い兄弟みたいなものだから、絶対に見捨てることができない」という話が紹介されていました。


バイク乗りは一つの「共同体」なのだという意見もあります。


「バイク乗りというのは、皆がつながって一つになっているんだ。ツーリング中に他のバイカーを見つけて声をかけ、その後350マイルぐらい一緒に走って、生涯の友になったりすることもある」


「バイク乗りにとって意味があるのは、お互いバイク乗りであるということ、それだけだ。だからバイク乗りが集まる場所に行くと、みんな平等に扱われる。『THE ROCK STORE』*3みたいなところに行ってみれば分かるよ、年齢も人種も職業もバラバラだ」


「平等」が強調されてるのは、格差と差別が比較的深刻なアメリカの国柄もあるのかも知れません。
 
 

バイクと旅

バイクで世界を3周ぐらいしてる旅行作家のテッド・サイモン氏が登場して、バイクで旅をすることの喜びを語っています。



「俺は世界を自分のものにしたいと思ったんだ。バイクで旅するのは、それにぴったりな手段だった。バイクで世界旅行に出かけるのには、強さも勇気も要らないよ。ただ決断すればいい。バイクでの旅は、恐怖や不安を掻き消してくれる。人生を変えるのに、こんな良いものはないね」


また、サイモン氏はこうも語ります。


「僕は家にいられないタチだし、故郷に留まるのには向いてなかったんだ。だって街では、人々が毎日、バカバカしい問題に悩んでいる。世の中、何かがおかしいんだよ。例えば今は、みんなSNSを使って多くの人と繋がり、それに多くの時間を費やしてるだろ。でも、あんなものに振り回されるのは理解できないね。みんながそんなに、他人に関心を持っているとは信じられないよ。テクノロジーは、人が思いついた良いアイディアを実現することを助けてくれるものだ。でも、『自分が何をすべきなのか』というアイディアそのものは、テクノロジーは教えてくれない」(テクノロジーに振り回されては駄目だ、ということ)


このサイモン氏に限らず、世の中の煩わしさから逃れるためにバイクに乗るっていう話は多いですね。
 
 

バイクは人格そのもの

この映画に登場する人はみんな、「バイクに乗る」ということが、自分のアイデンティティの重要な部分を占めていて、「バイクは人格(パーソナリティ)そのものだ」という発言もありました。これには2つの側面があります。一つは、「バイクに自分のパーソナリティが投影される」という面。


「バイクというものは必ず、多少なりともカスタマイズして自分のものにしたくなる。新品でも中古でも。他の誰かと全く同じってのは嫌だからな。これはアメリカだけじゃなく、世界中のバイク乗りがそうなんだ。」


そしてもう一つは、「自分はどういう人間なのか」を考えるときに、「バイク乗りである」という事実が大きな意味を持つという面です。先ほども触れましたが、そういうバイク乗りにとって、職業や人種というのは二次的な意味しかもたない。だから、あるライダーは、


「バイクは職業の垣根を越える。バイク乗りのアイデンティティはバイク乗りであることであって、医者であるとか俳優であるとかいう前に、バイク乗りとして生きてるんだ」


と言っていました。
 
 

バイクと競技

レーサーの話もたくさん出てくるのですが、印象深かったのは「ボンネビル・スピードウィーク」の出場者たちの話ですね。アメリカのユタ州に、「ボンネビル・ソルトフラッツ」という、古代の塩湖が干上がってできた、だだっ広い平地があります(参考映像)。真っ平らな土地に真っ白な塩が積もっているのですが、ここで「バイクの地上走行最速記録」を競うのが「ボンネビル・スピードウィーク」です。カワサキのNinja(H2)が世界記録を出していたりします。


その選手の人たちは、次のようなことを語っていました。


「ボンネビルは、月の表面を走るような感覚なんだ。私の人生を大きく変えたよ」


「スタートラインに立つ時、自分の前に走った全ての人のスピリットを受け取るんだ」


「ボンネビルで走っていると、全てがスローモーションに見える」


ムスタングやコルセアのような昔の戦闘機と同じで、ボンネビルを走るライダーは、勘だけを頼りに(seat-of-the-pants)操縦してるんだ」


私には分からない世界ですが、バイクに乗るのを戦闘機に例えるのは面白いですね。
 
 

バイクと不良のイメージ

バイクには「不良」のイメージがつきまとうという話も出てきます。
「バイクは、別名『親に隠れて持つもの』とも言われるぐらいで、俺は親に内緒でバイクを買って、友達の家に置いてもらっていたよ」という人もいました。そういう例はかなり多いらしいですね。
現代では「危ない乗り物だから」って理由で親が反対する程度でしょうが、昔は「不良」や「犯罪」の象徴でもありました。この映画でも、あるお爺さんライダーと孫のライダー(たぶん)が、こんなことを語っていました。


「昔は、バイクと言えばとにかく世間のイメージが悪かったよ」
「爺さんがバイクでホテルやレストランに行っても、中に入れてくれなくて、店員が引っ込んじゃったんだって」
アウトロー(不良)だと思われたんだよ」
「バイクには犯罪のイメージもついて回った」


50年ぐらい前のアメリカで、これぐらいバイク乗りのイメージが悪かったというのはガチの話らしいです。1969年の『イージーライダー』という映画でも、ハーレーに乗って自由に旅している主人公たちが、田舎町では露骨に侮蔑されていて、ホテルにも入れてくれないし、レストランでも白い目で見られていました。それどころか、キャンプで寝ているところを襲ってきた保安官に仲間が殴り殺されたり、走行中に農夫にショットガンで撃たれて死んだりします。「長髪でジーンズ履いてバイクに乗ってるようなやつは、社会のゴミ」ぐらいに思われてたってことです。*4


そして興味深いのが以下の話。


「『バイク=不良』っていうイメージを覆したのは、ホンダだよ。Little Honda(カブ)のPRキャンペーンで“You meet the nicest people on a Honda”というのがあって、あれが状況を一変させたんだ。それ以来、バイクは日常のごく普通の乗り物になった。両親や近所の子供たちまで乗り始めたんだからな。Little Hondaは小さくて、デザインがよくて、可愛かった」


外れ者の音楽だったロックンロールが市民権を獲得していくのと同じような話ですが、インパクトを与えたのは何とカブだったんですね。
 
 

障害とバイク

「バイク乗りには、お互い助け合う文化がある」という話にもつながるのですが、「バイク乗りは、自分がバイクに乗れることに感謝すべきだ」と言う人がいて、障害者に対する支援の取り組みがいくつか紹介されていました。


ボンネビル・スピードウィークで世界記録を持ってる女性ライダーが何度か登場するのですが、この人は娘2人もバイクに乗っていて、どちらもボンネビルの記録を持っているようです(部門が色々あるからでしょう)。



で、この女性は、たぶん娘も手伝ってるんでしょうけど、(犯罪で捕まったか精神を病んだか家族に捨てられたかした)少女たちの保護施設に壊れたバイクを持っていって、一緒に修理する取り組みをしているらしい。壊れたバイクが、しっかり修理すれば再び動くようになるという経験を通じて、「人生はやり直せるのだ」ということを教えているのだとか。


障害者用の義手を作っている会社のおじさんは、こんなエピソードを紹介していました。


「うちの客にジェイクっていう男の子がいて、彼は生まれつき片腕がなかったんだ。それでも彼はモトクロスに乗りたくて練習をしていたんだけど、ある時友達から『何やってんだよ障害者のくせに』とからかわれて、引きこもるようになってしまった。それで家族に連れられて、俺の作る義手を買いに来たのさ。そしたら8ヶ月後には、ジェイクは表彰台に立ってたぜ(笑)」


障害といえば、Dave Barrという退役軍人の話が印象的でした。



ベトナム戦争から帰還した後、個人的に怒りが収まらないところがあって、再び海外に出て、傭兵としてイスラエルやアフリカを転戦することにしたんだ。
 1981年にアンゴラで、機関銃を搭載したトヨタランドクルーザーで移動している最中に、ソ連製の地雷を踏んでしまって大爆発。俺はてっきり死んだと思ったよ。ところが幸いなことに、両脚を失いはしたものの、命は助かった。
 しばらく入院した後は、軍を辞めることにして故郷に帰り、両親と再会した。そしてすぐに、ガレージにしまってあった十年来の相棒とも再会した。1972年式のハーレーだ。俺は親父と一緒にこのバイクを修理した。義足で運転できるように、リアブレーキペダルを延長したりとかね。
 そして修理が完了し、そいつに乗ってハイウェイに出たときの感激は、言葉にできないね。憎悪と怒りにまみれた外国の地に何年も居て、爆発で死にかけて両脚を失った自分が、またバイクに乗れるなんて信じられない。素晴らしい感覚だった。
 その時、ふと、あるアイディアに打たれたんだ。『俺はこいつに乗って世界中を旅して、俺よりもっと悲惨な目に会っている奴らを励まさないと』って。アメリカには俺のような幸運な人間もいるけど、途上国の人たちはそういう例も知らなくて、希望が持てないだろうからね。
 それからハーレーで3年7ヵ月かけて世界を一周して、83,000マイル走行の世界記録を達成した。俺は障害者だが、これは障害とは何の関係もない記録だ。
 俺にとってこのハーレーは、単なるバイク以上の存在になった。それは決意、姿勢、そして限界を突破するということについての俺の思いを、世界に運ぶ乗り物なんだよ。」


映画の最後に、この両脚義足の元軍人Barr氏が6歳ぐらいの娘*5を乗せてバイクで走っている映像が出てくるんですが、



Barr氏はこんなことも語っていました。


「以前、小さい娘がこんなことを言ったのを思い出すよ、『パパ、私もバイクに乗らなきゃね。練習してバイクに乗れるようになって、パパが歳を取ったら後ろに乗せてあげるよ』と。最高じゃないか。娘が人生で初めてバイクに乗ったのは俺の後ろで、俺が人生で最後に乗るのは娘の後ろだなんてな!」
 
 

女子供もバイクに乗る

「バイクは男だけのもんじゃない」というのもこの映画のメッセージの一つです。「最近の男たちは女にもバイクを運転させたいと思ってるでしょ」と言っている人が出てきますが、たしかに最近は夫婦や恋人同士でバイクに乗っている例は多いようです。
昔は「女はタンデム(パッセンジャー)」っていうパターンが多かったようですが、この映画に登場する女性ライダーの1人は、


パッセンジャーでいるのと、ライダーとして自分のバイクに乗るのは、全然違う感覚よ。とにかく別物なの」


と語ります。また、確か87歳のお婆さんライダーのセリフだったと思いますが、


「妻であり、労働者であり、母であるというようなことは、バイクに乗るとどうでもよくなるのよ」


と言っていました。



そして、


「今は女性がどんどんレースに出るようになってるけど、そのうち女のほうが多くなるよ。だって、女は男よりタフなんだから」


とも。
ただ、タンデムについても印象深いエピソードがありました。夫・息子とともに家族3人でバイクに乗っている女性の話です。


「息子が生まれた日に、かなり進行した乳癌が見つかったの。それからの闘病生活は大変で、生きるためだけに必死だった。そんな時に夫が、『何かしたいことはある?』と聞いてきたので、私は『バイクに乗りに行きたい』と答えたわ。化学療法を受けていたんだけど、私はどんどん憔悴して本当に辛かった。しかも私は家から出ないといけなかったの。免疫システムが弱っていて、多くの人とは一緒に居られなかったからよ。そこで夫はいつも、私を起こして服を着せて、彼のバイクで海岸まで連れて行ってくれたわ。あれは本当に人生最高の日々だった。それからしばらくして、身体もよくなった。バイクが私を救ってくれたの」


救ったのはバイクではなく旦那さんではないかという気もしますが(笑)
家族でバイクに乗っている人はけっこういて、先ほども触れた、ボンネビルで娘2人とともに世界最速記録を持っている女性ライダーは、こんなことを言ってました。


「私にとってバイクは子育ての道具でもあるの。他のやり方でどうやって教えたらいいのか、私には分からないようなことがあるのよ。たとえば、限界まで挑戦することや、チームで仕事することや、失敗や成功への正しい向き合い方とかね。」


この人の他にも、子供にバイクをやらせてる人や、バイクに乗っている子供の声はたくさん紹介されてました。主に、子供にレースをやらせてるってのが多かったですね。親がバイク乗りだと、子供にも早いうちから乗らせてるケースが多いようです。


アメリカだと、「人生で最初に乗ったバイクは、子供の頃に買ってもらったミニバイクだ」という人は多いようです。モンキーぐらいのサイズの原付を、スポーツ用に買ってもらって乗っていたという人が多いみたいです。


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ところで、アメリカでどういうルールになってるのか知らないのですが、広々とした公園や空き地みたいなところで子供がバイクを乗り回している映像が何回も出てきました。小学生ぐらいの子供に親がバイクをプレゼントする場面もありました。日本だと、プレゼントしても、どこで乗るねん!ってなりますよね。アメリカはどうなんですかね?
キャンプ場みたいなところで、トラックからオフロードバイクを降ろして子供が乗り回している映像からすると、日本で言えば「マウンテンバイクをクルマに積んで山に持っていって、現地で降ろして遊ぶ」みたいな感覚で、エンジン付きのバイクも使われてるんでしょうか。なんか羨ましいですね。


・・・他にも、バイクの歴史の話が色々紹介されていたりして、けっこう楽しめる映画です。繰り返しますが、日本語版を出したほうが絶対いいと思うし、同じようなドキュメンタリーを日本でも製作したら面白いと思います。

*1:けっこう意訳していますし、正確にメモってたわけではないので「趣旨としてはこんなことを言ってる」ぐらいの感じのところもあります。

*2:バイクそのものだけではなく、ヒルクライムの競技のことを指していると思いますが。

*3:でかいライダーズカフェみたいな店

*4:この映画でも最初のほうに出てきますが、アメリカではT型フォードが普及する戦間期まで、そしてイギリスでも第二次大戦後までは、クルマの値段が高かったのでバイクのほうが一般的な乗り物で、サイドカーに家族を乗せて走るのが普通でした。ところが、クルマが普及してからは、バイクは変な奴らの乗り物ってことになっていったようです。

*5:Barr氏はかなりの年齢なので晩婚なんでしょうか。欧米だと60代で小さい子供がいるという例はけっこう聞きますね。

「バイクに乗ることの意味」は言葉で説明することができない

"International Journal of Motorcycle Studies"(日本語でいえば『国際バイク研究論文集』)という、バイクを専門に扱う学術誌*1があることを知ったのですが、


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そのサイトに論文集の創刊趣旨みたいな文章があって、その中で長年バイク文化の研究をしてきたスティーブン・アルフォード氏のメッセージが、学術誌と思えないぐらいスピリチュアルで熱いです。


部分的に訳すと(やや意訳してますが)――

バイクに乗る時、ライダーはマシーンと一つになる。それは機械と一体化したサイボーグのようなものだ。バイクに乗ることが、心臓のペースメーカーや糖尿病治療のインスリンポンプを着けて歩くのと同様、日々の生活の中心にならざるを得ない。


(略)


バイクは2つのノスタルジアを体現している。1つは、古きよき西部アメリカの記憶。もう1つは、バイカー集団がそうであるように、全てのメンバーが兄弟=同胞として一つになれるような共同体への憧れだ。


バイクは現代の高度なエンジニアリング技術の賜物だが、その一方でバイクの所有者は、それをカスタムして自分流に染め上げ、我が物にせずにはいられない。


バイクは近代文明の産物ではあるが、後期近代*2と呼ばれる時代になると、それは同時に近代が生み出した心の問題――つまり疎外感と、権威への抵抗――を象徴するものにもなった。


バイク乗りは「バイク乗りに相応しい服装や振る舞いのスタイル」にこだわるが、同時にそのことによって、「社会の束縛なんて気にしないぜ」と主張しているのである。


(略)


バイクは人々を結びつける。バイクに乗るということは、裸になったようにありのまま*3でいるということだ。誰もが同じ裸の人間として存在しているように、バイクに乗ることであなたは他のライダーと一つになる。相手が技術者であろうが株屋であろうが、教授であろうが建設作業員であろうが、そんなことは関係ない。


バイクは、生活の語り得ない次元にある本質的で重要なものを実感させることによって、「我々にとって一番大事なものは、言葉では正確に言い表せないようなものなのだ」ということを教えてくれる。禁酒主義者が絶品のワインの味を知らないように、処女がセックスを知らないように、バイクに乗るとはどういうことなのかを説明しようと試みるとき、言葉は自らの限界を知るのである。


バイクにまたがったときの「感覚」こそが、我々が皆生きる中で探し求めているものをまさに体現しているのだ――すなわち、自由というものを。


「自由とはどんなものなのか、言葉で説明しても伝わらん。とりあえずバイクに乗れ!」みたいな話ですね。


言葉にできないと言いつつ、論文集を刊行しているところが逆説的ですが(笑)


最近、バイク利用*4に関する国内外の研究をちょっとずつ確認してるのですが、東南アジアとかでバイクに乗る人が多い理由としては、クルマより安いとか、道路がしっかり整備されてないからバイクのほうが柔軟に動けるとかいう理由が挙げられますが、先進国で語られる「バイクに乗る理由」は、「自由」とか「既成の秩序からの解放感」とか「仲間との一体感」とかそういうのが多い印象ですね。


それは、60年代から70年代ごろに(たとえば映画の『イージーライダー』に象徴されるように)、バイクに乗って旅をすることが反体制的なカルチャーの体現していたという背景もあるんですが*5、面白いのは「クルマとはどう違うのか」という点について、バイクに乗って身を危険さらすことで人はしょうもない不安や悩みを忘れて前向きになることができるのだと論じられるところですね。もう少し詳しく調べて、まとめようと思っています。

*1:審査を通った学術論文が載ってる雑誌。

*2:簡単にいうと、高度成長を経験した後で、近代的な文明社会への疲れを人々が感じるようになった時代のこと。

*3:ネイキッド

*4:バイクの機械工学的な技術に関する研究は山ほどあるんですが、私は交通手段を利用する人間についての研究をしてるので、「バイク利用」に限定して調べています。

*5:十代の少年はクルマは買えないから、日本でも外国でも、不良が乗るのはクルマじゃなくてバイクっていう側面もあると思う。