バイク愛を語る映画
アメリ カのたくさんのバイク乗りにインタビューして「人生とバイク」を語らせた、『Why We Ride(なぜバイクに乗るのか)』という素晴らしいドキュメンタリー映画 があります。
YouTube に予告編のトレーラーがあるのですが、この映像だけでもバイクに乗る人ならシビれるんじゃないでしょうかね。
VIDEO www.youtube.com
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ところがあいにくこの映画、日本語版が出てないんですよね。
私は英語が苦手ですが、この映画についての日本語の情報があったほうがいいと思うので、観ながら取っていたメモに基づいて、ここで少し紹介しておこうと思います。
以下、青字で斜体 にしてるところがインタビューからの引用です*1 。
観てて何回も思ったのですが、これはバイク業界の誰かがカネを出して、日本語版を出させるべきですね!
この映画でインタビューされている人たちは、何らかの意味でバイクの「プロ」だったり、「バイク狂」と言えるレベルのマニアばかりです。レースをやってたり、小学生ぐらいからバイクに乗ってる人も多いです。だから、一般のバイク愛好家の声とはちょっと違いますね。
しかし、「バイク=人生」みたいな生活を送っている人が語るからこそ、バイクに乗ることの本質的な魅力が浮かび上がっているとも言えます。
バイクに乗る快感
映画に出てくるあるライダーは、
「人間なら誰だって、空を自由に飛んでみたいと夢みたことがあるだろ。バイクに乗る時、スロットルをひねると、まさに飛んでいるような気分になるんだよ」
と語っていました。これは、私も分かる気がします。
「バイクに乗りたい」という感覚と、「パラグライダーやパラモーター で空を飛んでみたい」という感覚は、似ていると思います。峠のワインディングロードをスイスイ走るのって、鳥が飛ぶような感覚に近いんじゃないでしょうか。私は初心者なのでスイスイはできませんが(笑)。
「何か腹が立つことがあって、ムシャクシャしながら仕事場を出るとするだろ。でも、バイクに乗ると2マイルも行かないうちに、ストレスも不安も全部なくなって、自由な気分になるんだ」
と言う人もいました。この映画に限らず、「私がバイクに乗る理由」として「自由」を挙げる人は多いですよね。わかります。ヒルクライム の競技をしているある男性ライダーは、
「僕にとってバイクは、この狂った世の中から解放してくれるものであり、薬なんだ」 *2
とも言っていました。
「朝早く、日が昇る頃にバイクに乗るのは最高だよ。光は暖かく魅惑的で、パリッとした空気は新鮮で綺麗だ。この魔法のような時間を味わうのに、『クールなバイクに乗って走る』以上に良い方法は考えられないね」
という声もありました。早起きしてひとっ走りしてから仕事に行くのを習慣化すると、幸せになれそうです。
初めてバイクに乗った時
バイクに初めて乗った時の印象や、バイクを仕事や趣味にするようになった理由についても色々と語られていました。
「初めてバイクに乗った時、1分か1分半走ってみてすぐに『あ、これこそ俺のやるべきことだ』って思ったよ」
「子供の頃、初めてミニバイクに乗らせてもらった時、『私には何だってできる』って気分になったわ」
というように、初めて乗ったときのシビれるような感覚がその後の人生を決めたというような人は多いようです。
「子供の頃、初めてバイクに乗った日の前夜は、『明日、バイクに乗れるんだ』というのが楽しみで仕方なかった。そして私は今も毎日毎日、同じように感じている」
と振り返る人もいました。バイクに乗る楽しみは常にフレッシュで、飽きるということがないということですね。
「ある種の人々は、心の中にバイカ ーの“タネ”を持って生まれるんだ。それは芽吹いたことがないだけで、バイクに乗りたいという情熱は初めからあなたの中にある。そして水をやった時、つまりバイクに初めてまたがってスロットルを回した時から、そのタネは育ち始める。そうなればあなたが死ぬまで、その情熱は消えることがない。」
と語る人もいました。
ライダー同士の友情
「バイク乗りは仲間意識が高い」という話も繰り返し語られていました。バイク仲間のことをよくbuddiesというのですが、これは「兄弟たち」ってぐらいの意味ですね。
「バイク乗りは、道端に停止して困っているライダーを見かけたら、手を貸そうとせずにはいられないもんだ」
「バイク乗りは、すれ違う時にお互い挨拶をする。クルマでは、そういうことはまずないよな」
そういえば以前、南米のライダー200人ぐらいにインタビューした論文を読んだことがあるのですが、その中でも「バイクはクルマより低く見られているから、ライダーが事故で道路上に倒れているのを見ても、クルマのドライバーはそのまま通り過ぎる人が多い。しかしライダー同士はお互い兄弟みたいなものだから、絶対に見捨てることができない」という話が紹介されていました。
バイク乗りは一つの「共同体」なのだという意見もあります。
「バイク乗りというのは、皆がつながって一つになっているんだ。ツーリング中に他のバイカ ーを見つけて声をかけ、その後350マイルぐらい一緒に走って、生涯の友になったりすることもある」
「バイク乗りにとって意味があるのは、お互いバイク乗りであるということ、それだけだ。だからバイク乗りが集まる場所に行くと、みんな平等に扱われる。『THE ROCK STORE』*3 みたいなところに行ってみれば分かるよ、年齢も人種も職業もバラバラだ」
「平等」が強調されてるのは、格差と差別が比較的深刻なアメリ カの国柄もあるのかも知れません。
バイクと旅
バイクで世界を3周ぐらいしてる旅行作家のテッド・サイモン氏が登場して、バイクで旅をすることの喜びを語っています。
「俺は世界を自分のものにしたいと思ったんだ。バイクで旅するのは、それにぴったりな手段だった。バイクで世界旅行に出かけるのには、強さも勇気も要らないよ。ただ決断すればいい。バイクでの旅は、恐怖や不安を掻き消してくれる。人生を変えるのに、こんな良いものはないね」
また、サイモン氏はこうも語ります。
「僕は家にいられないタチだし、故郷に留まるのには向いてなかったんだ。だって街では、人々が毎日、バカバカしい問題に悩んでいる。世の中、何かがおかしいんだよ。例えば今は、みんなSNS を使って多くの人と繋がり、それに多くの時間を費やしてるだろ。でも、あんなものに振り回されるのは理解できないね。みんながそんなに、他人に関心を持っているとは信じられないよ。テクノロ ジー は、人が思いついた良いアイディアを実現することを助けてくれるものだ。でも、『自分が何をすべきなのか』というアイディアそのものは、テクノロ ジー は教えてくれない」(テクノロ ジー に振り回されては駄目だ、ということ)
このサイモン氏に限らず、世の中の煩わしさから逃れるためにバイクに乗るっていう話は多いですね。
バイクは人格そのもの
この映画に登場する人はみんな、「バイクに乗る」ということが、自分のアイデンティティ の重要な部分を占めていて、「バイクは人格(パーソナリティ)そのものだ」 という発言もありました。これには2つの側面があります。一つは、「バイクに自分のパーソナリティが投影される」という面。
「バイクというものは必ず、多少なりともカスタマイズして自分のものにしたくなる。新品でも中古でも。他の誰かと全く同じってのは嫌だからな。これはアメリ カだけじゃなく、世界中のバイク乗りがそうなんだ。」
そしてもう一つは、「自分はどういう人間なのか」を考えるときに、「バイク乗りである」という事実が大きな意味を持つという面です。先ほども触れましたが、そういうバイク乗りにとって、職業や人種というのは二次的な意味しかもたない。だから、あるライダーは、
「バイクは職業の垣根を越える。バイク乗りのアイデンティティ はバイク乗りであることであって、医者であるとか俳優であるとかいう前に、バイク乗りとして生きてるんだ」
と言っていました。
バイクと競技
レーサーの話もたくさん出てくるのですが、印象深かったのは「ボンネビル・スピードウィーク 」の出場者たちの話ですね。アメリ カのユタ州 に、「ボンネビル・ソルトフラッツ」という、古代の塩湖が干上がってできた、だだっ広い平地があります(参考映像 )。真っ平らな土地に真っ白な塩が積もっているのですが、ここで「バイクの地上走行最速記録」を競うのが「ボンネビル・スピードウィーク 」です。カワサキ のNinja(H2)が世界記録を出していたりします。
その選手の人たちは、次のようなことを語っていました。
「ボンネビルは、月の表面を走るような感覚なんだ。私の人生を大きく変えたよ」
「スタートラインに立つ時、自分の前に走った全ての人のスピリットを受け取るんだ」
「ボンネビルで走っていると、全てがスローモーションに見える」
「ムスタング やコルセアのような昔の戦闘機と同じで、ボンネビルを走るライダーは、勘だけを頼りに(seat-of-the-pants)操縦してるんだ」
私には分からない世界ですが、バイクに乗るのを戦闘機に例えるのは面白いですね。
バイクと不良のイメージ
バイクには「不良」のイメージがつきまとうという話も出てきます。
「バイクは、別名『親に隠れて持つもの』とも言われるぐらいで、俺は親に内緒でバイクを買って、友達の家に置いてもらっていたよ」 という人もいました。そういう例はかなり多いらしいですね。
現代では「危ない乗り物だから」って理由で親が反対する程度でしょうが、昔は「不良」や「犯罪」の象徴でもありました。この映画でも、あるお爺さんライダーと孫のライダー(たぶん)が、こんなことを語っていました。
「昔は、バイクと言えばとにかく世間のイメージが悪かったよ」
「爺さんがバイクでホテルやレストランに行っても、中に入れてくれなくて、店員が引っ込んじゃったんだって」
「アウトロー (不良)だと思われたんだよ」
「バイクには犯罪のイメージもついて回った」
50年ぐらい前のアメリ カで、これぐらいバイク乗りのイメージが悪かったというのはガチの話らしいです。1969年の『イージーライダー 』という映画でも、ハーレーに乗って自由に旅している主人公たちが、田舎町では露骨に侮蔑されていて、ホテルにも入れてくれないし、レストランでも白い目で見られていました。それどころか、キャンプで寝ているところを襲ってきた保安官に仲間が殴り殺されたり、走行中に農夫にショットガンで撃たれて死んだりします。「長髪でジー ンズ履いてバイクに乗ってるようなやつは、社会のゴミ」ぐらいに思われてたってことです。*4
そして興味深いのが以下の話。
「『バイク=不良』っていうイメージを覆したのは、ホンダだよ。Little Honda(カブ)のPRキャンペーンで“You meet the nicest people on a Honda”というのがあって、あれが状況を一変させたんだ。それ以来、バイクは日常のごく普通の乗り物になった。両親や近所の子供たちまで乗り始めたんだからな。Little Hondaは小さくて、デザインがよくて、可愛かった」
外れ者の音楽だったロックンロールが市民権を獲得していくのと同じような話ですが、インパク トを与えたのは何とカブだったんですね。
障害とバイク
「バイク乗りには、お互い助け合う文化がある」という話にもつながるのですが、「バイク乗りは、自分がバイクに乗れることに感謝すべきだ」 と言う人がいて、障害者に対する支援の取り組みがいくつか紹介されていました。
ボンネビル・スピードウィーク で世界記録を持ってる女性ライダーが何度か登場するのですが、この人は娘2人もバイクに乗っていて、どちらもボンネビルの記録を持っているようです(部門が色々あるからでしょう)。
で、この女性は、たぶん娘も手伝ってるんでしょうけど、(犯罪で捕まったか精神を病んだか家族に捨てられたかした)少女たちの保護施設に壊れたバイクを持っていって、一緒に修理する取り組みをしているらしい。壊れたバイクが、しっかり修理すれば再び動くようになるという経験を通じて、「人生はやり直せるのだ」ということを教えているのだとか。
障害者用の義手を作っている会社のおじさんは、こんなエピソードを紹介していました。
「うちの客にジェイクっていう男の子がいて、彼は生まれつき片腕がなかったんだ。それでも彼はモトクロスに乗りたくて練習をしていたんだけど、ある時友達から『何やってんだよ障害者のくせに』とからかわれて、引きこもるようになってしまった。それで家族に連れられて、俺の作る義手を買いに来たのさ。そしたら8ヶ月後には、ジェイクは表彰台に立ってたぜ(笑)」
障害といえば、Dave Barrという退役軍人の話が印象的でした。
「ベトナム戦争 から帰還した後、個人的に怒りが収まらないところがあって、再び海外に出て、傭兵としてイスラエル やアフリカを転戦することにしたんだ。
1981年にアンゴラ で、機関銃を搭載したトヨタ のランドクルーザー で移動している最中に、ソ連 製の地雷を踏んでしまって大爆発。俺はてっきり死んだと思ったよ。ところが幸いなことに、両脚を失いはしたものの、命は助かった。
しばらく入院した後は、軍を辞めることにして故郷に帰り、両親と再会した。そしてすぐに、ガレージにしまってあった十年来の相棒とも再会した。1972年式のハーレーだ。俺は親父と一緒にこのバイクを修理した。義足で運転できるように、リアブレーキペダルを延長したりとかね。
そして修理が完了し、そいつに乗ってハイウェイに出たときの感激は、言葉にできないね。憎悪と怒りにまみれた外国の地に何年も居て、爆発で死にかけて両脚を失った自分が、またバイクに乗れるなんて信じられない。素晴らしい感覚だった。
その時、ふと、あるアイディアに打たれたんだ。『俺はこいつに乗って世界中を旅して、俺よりもっと悲惨な目に会っている奴らを励まさないと』って。アメリ カには俺のような幸運な人間もいるけど、途上国の人たちはそういう例も知らなくて、希望が持てないだろうからね。
それからハーレーで3年7ヵ月かけて世界を一周して、83,000マイル走行の世界記録を達成した。俺は障害者だが、これは障害とは何の関係もない記録だ。
俺にとってこのハーレーは、単なるバイク以上の存在になった。それは決意、姿勢、そして限界を突破するということについての俺の思いを、世界に運ぶ乗り物なんだよ。」
映画の最後に、この両脚義足の元軍人Barr氏が6歳ぐらいの娘*5 を乗せてバイクで走っている映像が出てくるんですが、
Barr氏はこんなことも語っていました。
「以前、小さい娘がこんなことを言ったのを思い出すよ、『パパ、私もバイクに乗らなきゃね。練習してバイクに乗れるようになって、パパが歳を取ったら後ろに乗せてあげるよ』と。最高じゃないか。娘が人生で初めてバイクに乗ったのは俺の後ろで、俺が人生で最後に乗るのは娘の後ろだなんてな!」
女子供もバイクに乗る
「バイクは男だけのもんじゃない」というのもこの映画のメッセージの一つです。「最近の男たちは女にもバイクを運転させたいと思ってるでしょ」 と言っている人が出てきますが、たしかに最近は夫婦や恋人同士でバイクに乗っている例は多いようです。
昔は「女はタンデム(パッセンジャー )」っていうパターンが多かったようですが、この映画に登場する女性ライダーの1人は、
「パッセンジャー でいるのと、ライダーとして自分のバイクに乗るのは、全然違う感覚よ。とにかく別物なの」
と語ります。また、確か87歳のお婆さんライダーのセリフだったと思いますが、
「妻であり、労働者であり、母であるというようなことは、バイクに乗るとどうでもよくなるのよ」
と言っていました。
そして、
「今は女性がどんどんレースに出るようになってるけど、そのうち女のほうが多くなるよ。だって、女は男よりタフなんだから」
とも。
ただ、タンデムについても印象深いエピソードがありました。夫・息子とともに家族3人でバイクに乗っている女性の話です。
「息子が生まれた日に、かなり進行した乳癌が見つかったの。それからの闘病生活は大変で、生きるためだけに必死だった。そんな時に夫が、『何かしたいことはある?』と聞いてきたので、私は『バイクに乗りに行きたい』と答えたわ。化学療法を受けていたんだけど、私はどんどん憔悴して本当に辛かった。しかも私は家から出ないといけなかったの。免疫システムが弱っていて、多くの人とは一緒に居られなかったからよ。そこで夫はいつも、私を起こして服を着せて、彼のバイクで海岸まで連れて行ってくれたわ。あれは本当に人生最高の日々だった。それからし ばらくして、身体もよくなった。バイクが私を救ってくれたの」
救ったのはバイクではなく旦那さんではないかという気もしますが(笑)
家族でバイクに乗っている人はけっこういて、先ほども触れた、ボンネビルで娘2人とともに世界最速記録を持っている女性ライダーは、こんなことを言ってました。
「私にとってバイクは子育ての道具でもあるの。他のやり方でどうやって教えたらいいのか、私には分からないようなことがあるのよ。たとえば、限界まで挑戦することや、チームで仕事することや、失敗や成功への正しい向き合い方とかね。」
この人の他にも、子供にバイクをやらせてる人や、バイクに乗っている子供の声はたくさん紹介されてました。主に、子供にレースをやらせてるってのが多かったですね。親がバイク乗りだと、子供にも早いうちから乗らせてるケースが多いようです。
アメリ カだと、「人生で最初に乗ったバイクは、子供の頃に買ってもらったミニバイクだ」 という人は多いようです。モンキーぐらいのサイズの原付を、スポーツ用に買ってもらって乗っていたという人が多いみたいです。
ところで、アメリ カでどういうルールになってるのか知らないのですが、広々とした公園や空き地みたいなところで子供がバイクを乗り回している映像が何回も出てきました。小学生ぐらいの子供に親がバイクをプレゼントする場面もありました。日本だと、プレゼントしても、どこで乗るねん!ってなりますよね。アメリ カはどうなんですかね?
キャンプ場みたいなところで、トラックからオフロードバイク を降ろして子供が乗り回している映像からすると、日本で言えば「マウンテンバイクをクルマに積んで山に持っていって、現地で降ろして遊ぶ」みたいな感覚で、エンジン付きのバイクも使われてるんでしょうか。なんか羨ましいですね。
・・・他にも、バイクの歴史の話が色々紹介されていたりして、けっこう楽しめる映画です。繰り返しますが、日本語版を出したほうが絶対いいと思うし、同じようなドキュメンタリーを日本でも製作したら面白いと思います。