MotoStudies: バイク研究のための覚書

大学でバイクの研究を最近始めた交通研究者です(バイクに乗るのは初心者)

80年代の走り屋についての石原慎太郎のコメント

YouTubeで、ローリング族と言われた80年代の走り屋についてのドキュメンタリーを観たのですが、この一本目の動画からして、現代人からみると頭おかしいですねw


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当時これが危険だし迷惑だということで社会問題化し、警鐘を鳴らす目的で作られたような番組です。
少年たちに話を聞いているインタビュアーも、基本的には「そんな危険なことして命落としたらどうするんだ」というような調子で聞いているんですが、少年たちは「死ぬかも知れないのは分かってる、でもやめられない」と答える。
このメンタリティは今の若者とはだいぶ違うなと思うんですが、それについての、当時運輸大臣だった石原慎太郎のコメントがちょっと面白かった。


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インタビュアーはここでも、この社会問題を解決するために規制強化が必要ではないかという趣旨で質問をしているのですが……

インタビュアー バイク年齢が16歳というのは、ちょっと若すぎやしないかなという気がするんですが、どうでしょうか?


石原運輸大臣 さぁ、しかし昔は15、16で元服して一人前の侍になったんでね。その頃から比べりゃ肉体的にも大きくなったし、情報だって知識だってふんだんにあるわけでね。つまり、自分を律しきれるかしきれないかの問題で……。私は年齢の問題っていうかもう、文明そのものがソフト化してしまって、それに対する若者の精神・生理的、肉体的な反発……ということになれば、ソフト化した生活・文明がよくないと言うのは易しいけども、じゃぁ徴兵制度を敷いて子どもたちを駆り立てるかというとそんな必要もありやしないし、そんなもの通じる世の中じゃないしですね。文明がだらけてしまってるから、若者たちはやっぱり緊張を求めていくわけで。この文明を作ったのは誰かと言ったら、彼らじゃなしに我々なんだから、そういう反省を込めて対処しないとおためごかしになってね。16歳と17歳からライセンス取り上げるだけで事が済むかといったら、そんな簡単なもんじゃないと思いますよ、僕は。


ここで文明の「ソフト化」と言われているのは、当時の保守派文化人からみた戦後観のことで、要するに武力を持たず、売春を禁止し、アメリカの庇護の下で経済成長だけに専念し、高度消費社会と高福祉国家を作り上げ、それと引き換えに人間が本来持っている野性味や緊張感を失ってしまった……というような意味合いですね。簡単に言えば、石原慎太郎のような戦前生まれの文学者や政治家の眼には、戦後日本というのは人が苦労することを忘れた「だらけた」時代として映っていたわけです。豊かではあるが、隅々まで安全に管理された退屈な社会、という感じでもある。


で、若者は生来ありあまるエネルギーを持っていて、昔はそのはけ口がたくさんあったのに今はそれがないので、ローリング属のような危険で無秩序な行動が生まれるのも無理はないのであり、バイクの免許を取り上げたぐらいでどうにかなるようなことではない、と言う話です。


まぁそんな気もすると同時に、今の若い人をみるとまったく暴力的でも野性的でもなく、いわゆる「草食」なカルチャーが根付いていて、べつにはけ口を求めているようにも見えないので、不思議なものです。ローリング族のような形で暴発する若者のエネルギーとやらは、霧消してしまったのか、それとも私なんかには見えないどこかで消化されているのか、気になりますな。